父が亡くなって、残りの人生を意識した頃から、
地元愛が薄かった私に変化がありました。 湧き上がるように会いたいと思うようになった友人が2人。 携帯番号も変わったかなぁというくらい月日が経っていたので、思い切って実家に手紙を書いたら、思いのほか早く親御さんが繋いでくれて、飲みに行くことができた。
もう1人の友人へは意外にも筆が進まなかった。そしたら理由がわかった。
飲みに行った友人から 「亡くなったよ」と 聞かされたのでした。
もうショックでした。 手紙を読んでもらえないのでは、と擡げたのはこういうことだったんだ。
それから数年経ち、 心の中で手を合わせて、と自分を納得させようとしていたのだが、やっぱりいつまで経ってもスッキリしない。 どうしても信じたくない思いと何も行動できない自分。
お線香もお供えも用意したのに、どうしたらよいかわからずにいろいろ調べてみたものの、
「遺族が対応に困る」 「遠くから手を合わせるだけで充分」という意見が多数のようで、でも関係性にもよるのでこればかりは本当に賛否両論。
でもなー自分が母親だったら来てくれて嬉しいんじゃないかとか、とか、父が亡くなってしばらくしてお線香もって来てくれた人がいて嬉しかったな、とか勝手に自分に置き換えつつ悶々としていた。
そっとしてあげたい、でもこれだけ年数が経ったら逆に、とか
電話してから行こうか、でもなんて言っていいかわからないし。
散々悩んだ挙句、自分一人で決められず母親にも聞いてみた。そしたら「行ってあげたら。思い出話もそうそうできないんだから」珍しく背中を押された。
やはり世の中的には迷惑でも、 ご実家に迷惑がられても行く!と決意して行ってきた。
記憶だけを頼りにけもの道、近道健在! 6年生になってからは自転車で行き来したものの、 子どもの足でよく行き来したなあという距離。 往復にかかる時間の方が長いんじゃ?と思いつつもランドセル置いてすぐさまとんで遊びに行ったのはMちゃん宅だけ。
農家の大っきなうちで、 広い台所でお菓子作りをしたり 裏山の土手でダンボールや肥料袋⁈で草滑りしたり、
土曜日にはカップ麺持っていって一緒に食べたり 今思い出しても本当に楽しかった思い出ばかり(*´∇`*) 車の免許を取ってからは迎えにまで来てくれてご飯食べに行った。
タイムカプセルオープンの時に再開して、 それから何度か会っているのに…
鬱になってから仕事を休みがちになって辞めたことがあったなんて一言も話さなかった。
再会できたのはちょうど元気になった頃だったらしい。お母さまからききました。一度しか会ったことなかったのだけど、 「仕事で家に居なかったのですがいつもMから名前をきいていました」と突然の訪問にも関わらず快く受け入れてくださいました。
「遅くなって申し訳ありません」と言うと 「こちらこそお伝えできずに」 とやっぱりお互い泣いてしまいました。
悲しいことを思い出させてしまったかなあ。
一瞬後悔しましたが、 こんなことをして遊んだ、とか お揃いで色違いのカンペンケース(懐かしの) 裁縫箱には互いに交換したまち針(名前の入った)が入ってることなどお伝えしました。
そんなことして遊んでいたのですか、知らなかったです。 とお母さまは終始口癖のように。
もっと話をきいてあげたらよかった、とずっと後悔してて、 安定剤がないと眠れない日々もあったそう。
亡くなったのは、 ちょうど連絡が途絶えたなあという頃。結婚した、のハガキは送ったんだけど… から少し後、 仕事をしながらホメオパシーにのめり込み、 めちゃめちゃ忙しかった頃。
お墓の場所を教わり、 手を合わせて帰宅。 綺麗な青空が。
また来るからね! やっとさよならが言えました。 Mちゃん、どうか安らかに眠ってください。(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
Comments